安定感を得るための稽古要諦2019年05月01日

[友人の若き医師に触発されて、下書きメモとしてアップする。
心掛けたのは、直感的理解を味わうために、論理的な構成・文章を避けることと改訂版を継続的に公開すること。]

・安定感が安心感を産む:
日常生活の折々に、何処からか安定感が届く。
足裏からの感覚のように思う。
特に、母趾球、小趾球、踵の三ヶ所。

立つ時、動く時、四肢と体幹を動かす時の安定感である。
坐禅、立禅の安定感である。

その安定感が安心感を産む。

一度、安心感を得れば、その状態を維持する。

・違和感の正体:
身体の危機が近ずくと、まず違和感を感じる。

両手を前後に振る時、
バランスが崩れかかると、
腕、脚、頭部、体幹、両手、両足、身体全体が直ちにバランスの回復を図る。

身体は真っ先にバランスの崩れが
転倒につながることを知っている。
バランス回復は即刻行われる。
そのやり方は千差万別。

感覚受容器がサビついていると、違和感すら感じない。

・習慣付けのための稽古:
違和感にしろ、安定感にしろ、危機を感じるには、それなりの習慣付けが必要。

ヒトは直立二足歩行のため、起きている間中、絶え間なく身体のバランスを感じている。

そのバランス感覚が劣化すると、
身体各部の滞りが分からなくなる。

・わたしの稽古は:
肩幅に立って、複数の型を繰り返す。韓氏意拳の形体訓練。その時の身体の状態が、安定感を得られるまで繰り返す。

前言のように、
足裏からのお知らせを基に状態を修正する。

安定感を一度得れば、
次は立禅、坐禅の静止時の状態を調べる。

続いて、型を離れて、四肢を自由に動かして状態を調べる。

最後に、陳式36式太極拳、制定太極拳24式の套路を試行する。

・わたしの稽古要諦:
太極拳風と呼べるような穏やかな体使い、さらに全身を整えて動くことを心掛けている。

重力に逆らうことがないように、さらに重力を感じ、その反作用を使う。

従って、動く時の身体の整え方は足裏から始まって、足裏で終わる。足裏への重力の反作用を上手く利用するのが良いと思っている。

身に付くまで、さらに付いてからも稽古を続けること。
気付きは稽古の度にやって来る。

参照:
・触発された、友人の文章

Facebook 4-29-16:07
身体のどこをどう意識すれば緊張から解放されるのか。

トップアスリートやトップモデルなど身体操作の最高峰にある人達の、姿勢と動きの共通点を探ることでヒントが得られる気がします。

無駄な力など入っていて、最高峰の結果が出せるわけないので。

彼らはどういう意識で立っていたり、座っていたり、歩いたり、寝ていたり、呼吸したりしているんだろう。
大体は合目的な運動(競技)の結果身に付いていて、あるかないかくらいの身体感覚で調整しているんだろうけど。

どこをどう意識しているとかではなく、指先までまんべんなく分配しているのかも。
バレエの最高峰の動きでは、手の指はもちろん足の指先まで「神経が張りめぐらされた」動きに見える。
身体感覚は、全身にほぼ均一に割り振っているんだろう。

ただ、身体意識と身体感覚の偏りがある人、人生を通してそういうふうに学習してきてしまった人は、いきなり全身に身体感覚をまんべんなく割り振ることはできない。
腰痛持ち、肩こり持ち、膝痛持ち、五十肩とかの人は全員そうだ。
既に骨格自体が歪んでいるから、痛みや凝りがある部分に優先的に身体感覚のリソースが割かれる。
骨格や身体意識、身体感覚が、そもそもなぜ歪んでしまったのか。そして今、どう歪んでいるのか。
そこを見つめることからだと思う。
身体は部分では決して語れない。眼も喉も腰も肺も足も手も、身体はすべて連動している。

Facebook 4-29-15:26
僕は自分の苦悩を踏まえて、解剖や生理の知識や経験を統合して汎用的な「動きのコツ」「リラックスのコツ」を見つけ、いずれは世の中に貢献すべく公表したいと思っていますが、現状は理論自体まるでまとまっていない段階ですし、n=1の仮説でものを述べており話になりません。

なのでご迷惑にはなりますが、公開することで思考のブラッシュアップと試行錯誤の経過を書いていこうと思っています。
意見や反論、共感があればコメントを頂けるとありがたいです。

重松 壮志

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