他者への関心2010年07月08日

人生は偶有性にあふれている。一寸先は闇である。

なぜなら、ひとは神の被造物であり、ひとは神の存在、意志、行為を推し量ることは出来ない。神のすべては不可知なのだ。

これは一神教の基にある考え。

だから、不幸にならないためには、偶有性を認めた上で、それに対処できる技術を身につけなくてはならない。

神の言葉もひとは理解できない。ひとが理解できるのはひとの言葉だけである。

拡大して言えば、ひとが理解できるのは、この現実の世界だけである。

科学もこの世のことだけはなんとか解ろうとする。

ひとも、言葉をつかえば理解し合えると考える。

勿論、この世のこととて、まだ解らないことは沢山ある。

だから、セレンディピティ(幸せな偶然に出会う能力)を鍛えることにひとは努める。

そのためには、他人の生き方を学ぶのが良い方法。特に、成功者、偉人の生き方である。

結論は、「伝記を読もう」となる。ただし、この結論は西欧文明の同調者と西欧人への呼びかけとなる。

一方、ヨロズ教では、一寸先を知る必要がない。何事も神の考えのままに生きればよろしい。

万物、神の計らいである。あれこれ考えるな!。

まさに、低エネルギーな生き方である。

そのコツは、万物に宿る神々との対話を絶対不可欠の日常行為とすること。簡単に言えば、常々、神社に参ることだ。
カウンター