自然死への仕度 ― 2004年12月20日
中国医学を学ぶ理由は、「死への仕度」のためです。
生きることについては、若いときから、さんざん悩んだのに、 死ぬことについては、全く、人任せにして、 来るときが来たら受け入れようとぐらいに思っていました。
今年の初めに、人体展を見に行きました。 さらに、陸上競技をやっている、中学生と高校生と話しているうちに、 彼らが身体との会話を常時行っていることを教えられました。
自分の身体観を明解にしよう!
偶々、甲野善紀の「表の体育、裏の体育」(PHP文庫686)を読み始め、 以前に購入して未読だった肥田式強健術の本(壮神社)をあらためて紐解くことになりました。 橋本敬三の「からだの設計にミスはない」(白樹社)も本棚から取り出しました。
陰陽師の身体観と養生法をハッキリさせよう!
わたしは、本来、人間の身体は草木や動物たちと同じように、自然界の掟に従って生きているものだと思っています。生体維持機能もそのために人間の身体機能のひとつになっています。
だが、その人間が生きている環境は人工的なものです。 従って、身体はその人工的環境の影響を多大に受けているに違いありません。
現代人の生活習慣が、人間本来のものから変質させられて、人工的に作られていることはハッキリしています。 例えば、車の使用です。
その環境の中で、自然死を迎えるためには、それなりの仕度が必要であることは直感的にわかりました。
自然死とは、身体の機能が徐々に衰退して、最後に眠るように死ぬこととしました。
ということで、もうすこし人間の身体について学んでみようという気になりましたが、近代医学の解剖学や生理学を学ぶ気はありません。
なぜなら、人工的な環境を良しとしている考えの根底には、近代技術の容認があります。 西洋医学もその近代技術のひとつです。
友人の漢方医から、中国医学は西洋医学に比べて、身体機能をより総合的に説明しているということを聞いて、中医を学ぶことにしました。
というわけで、「自然死への仕度」のために中国医学を学んでいます。
本多勝一「はるかなる東洋医学」(朝日文庫1-39)も大変参考になりました。
中医を学んで、今日までに理解できたこと。 1)身体は養生をしないと、環境(食物・呼吸を含む)に振り回されて、思わぬ欠陥を生じてしまう。 2)その欠陥が病となってしまう。 3)中医は身体の状態をチェックするのに優れたシステムである。 4)中医の身体観を陰陽で再検討することが当面の学習作業。