2019年の決意 感覚所与の復権2019年02月11日

感覚所与の差異は、一般化できない。

一方で、意識の差異は、何でもできる。一般化は勿論。デジタル化だろうと、排除でも、無視でも、意識はやりたい放題だ。

意識そのものは何も制約はない。自然征服でも可能である。

当然だが、意識の始まりの段階では、万能の力を抑制することに人々は努めた。

その後、特に近代になって、意識天国には、ちらほらと課題が出始めた。

だが、意識万能が問題を生んでいることに近代人は気がつかない。

感覚所与についても、取扱い可能であると思ってしまう。

脳優先社会となり、感覚所与に対する受容器の機能劣化についても、まったく問題視していない。

感覚所与を感じるとは、安心感、安定感(穏定感)、違和感、不安感、不安定感などを感じること。

そこで、受容した感覚所与を修正する方法を見出したい。

すでに太極拳の稽古法の中にあることを確認している。

片脚立ちの時の稳定(wěndìng)のやり方を、今年は、より確実にしたい。

遅れた2015年決意2015年07月10日

陰陽礼賛。

来る2016年より、数え年80歳を機に、陰陽法の普及を再開する。

1999年、「ミニマリストとして生きる」と宣言。
2009年、太極拳を始める。
2014年、なりわいは年金と株式投資に限定。

他者への関心2010年07月08日

人生は偶有性にあふれている。一寸先は闇である。

なぜなら、ひとは神の被造物であり、ひとは神の存在、意志、行為を推し量ることは出来ない。神のすべては不可知なのだ。

これは一神教の基にある考え。

だから、不幸にならないためには、偶有性を認めた上で、それに対処できる技術を身につけなくてはならない。

神の言葉もひとは理解できない。ひとが理解できるのはひとの言葉だけである。

拡大して言えば、ひとが理解できるのは、この現実の世界だけである。

科学もこの世のことだけはなんとか解ろうとする。

ひとも、言葉をつかえば理解し合えると考える。

勿論、この世のこととて、まだ解らないことは沢山ある。

だから、セレンディピティ(幸せな偶然に出会う能力)を鍛えることにひとは努める。

そのためには、他人の生き方を学ぶのが良い方法。特に、成功者、偉人の生き方である。

結論は、「伝記を読もう」となる。ただし、この結論は西欧文明の同調者と西欧人への呼びかけとなる。

一方、ヨロズ教では、一寸先を知る必要がない。何事も神の考えのままに生きればよろしい。

万物、神の計らいである。あれこれ考えるな!。

まさに、低エネルギーな生き方である。

そのコツは、万物に宿る神々との対話を絶対不可欠の日常行為とすること。簡単に言えば、常々、神社に参ることだ。
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