相即相入2024年04月03日

「因果論」から「縁起論」へ切り替えて再出発しました。

昨年末に、PSAの数値が40を超え、前立腺の検査でがんの疑いありとなり、生検を行いました。
続く検査で転移なしと判断され、確定診断はグリーソンスコアの「9」レベルの「前立腺がん」となりました。

ガイドラインにより、摘出手術はせずに、ホルモン療法による治療を提案され、同意しました。

食生活の見直しなど、ライフスタイル変革を改めて行うことにしました。

つづく

2019年の決意 感覚所与の復権2019年02月11日

感覚所与の差異は、一般化できない。

一方で、意識の差異は、何でもできる。一般化は勿論。デジタル化だろうと、排除でも、無視でも、意識はやりたい放題だ。

意識そのものは何も制約はない。自然征服でも可能である。

当然だが、意識の始まりの段階では、万能の力を抑制することに人々は努めた。

その後、特に近代になって、意識天国には、ちらほらと課題が出始めた。

だが、意識万能が問題を生んでいることに近代人は気がつかない。

感覚所与についても、取扱い可能であると思ってしまう。

脳優先社会となり、感覚所与に対する受容器の機能劣化についても、まったく問題視していない。

感覚所与を感じるとは、安心感、安定感(穏定感)、違和感、不安感、不安定感などを感じること。

そこで、受容した感覚所与を修正する方法を見出したい。

すでに太極拳の稽古法の中にあることを確認している。

片脚立ちの時の稳定(wěndìng)のやり方を、今年は、より確実にしたい。

2017年の課題2017年03月27日

慎ましい消費生活。
玄米菜食。

ブログを書く。
Twitterへの投稿。

太極拳。
鬆身の方法を探る
鬆脳の方法も探す
韓氏意拳の研究
参禅(曹洞宗)

易経研究。
テーマは変化の様相
そのための数学と物理の再学習
スタディサプリを使う
易経の64爻を微分方程式で記述してみる
求心力と拡散力の学習

新陰陽論。
唯脳論批判
身体性の欠落

日本の近現代史。
満州事変
太平洋戦争

象徴天皇制の始まりについて。
北条泰時
徳川家康
山縣有朋
敗戦

以上

なぜ、太極拳?2015年01月08日

感覚変化の体認を求めて。

ヒトの感覚をアリストテレスは5感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)に分類した。

現在では、そのほかに様々な感覚があることがわかっている。

例えば、体性感覚(表在、深部)、内臓感覚(臓器感覚、内臓痛)、特殊感覚(視覚、聴覚、味覚、嗅覚、前庭感覚、運動感覚、什痒感)

その感覚変化を体認する方法として、わたしは太極拳を選んだ。

ゆっくりとした身体操作が理由である。

その基本稽古の站椿(タントウ)が求める「感覚変化の体認」が納得できたからである。

体認の結果、運動連鎖を感覚できるようになったし、片足立ちを続けられるようになった。

2014年決意2014年04月14日

忘我探求。

忘我の方法を求める。


メモ
・自我とは幻想
身体はネットワークとして機能している。
司令塔があるわけではない。脳という司令塔モドキはある。

・やっかいな自我
「自我意識」は脳の防衛機能である。時には、行き過ぎる。

・「私」を消すことは可能か?
消すのではなく、消えるのでもない。
「私」とは、もともと、脳の思い込み。

・近代的自我の拡がり
唯脳論の勝利。脳を否定するのではない。その機能を理解し、上手に付き合うこと。

・デカルトの考えを納得することの誤り
我思う、故に、我ありとはならぬ。
我は痛みが判る、故に、我ありであろう。

・個人主義とキリスト教
一神教と個人主義は対称形で、親戚同士。

・民主主義の基盤としての個人
民主主義は個人が存在することを前提としている。

・国民国家の成立
国民国家も個人の存在を前提。

・だから、キリスト教と個人主義と民主主義は三位一体であり、一身同体。

個人主義の果てに:
・国民国家の解体とグローバリズム
個人の分散が分人か、個人ではなく分人か。

・分人主義の怖いところ
個人の分断、最小化。消費の拡大に繋がる。一方、多様性の拡大。

結論として、近代的自我の定義が不明瞭になっているのが現状。従って、「忘我」という行為は定義できないし、その方法は存在しない。

となれば、「忘我」ではなく、「自我」の再定義から始めなくてはならないということ。特に、自己と環境との関係性について再び検証してみたい。
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