2017年の課題 ― 2017年03月27日
慎ましい消費生活。
玄米菜食。
ブログを書く。
Twitterへの投稿。
太極拳。
鬆身の方法を探る
鬆脳の方法も探す
韓氏意拳の研究
参禅(曹洞宗)
易経研究。
テーマは変化の様相
そのための数学と物理の再学習
スタディサプリを使う
易経の64爻を微分方程式で記述してみる
求心力と拡散力の学習
新陰陽論。
唯脳論批判
身体性の欠落
日本の近現代史。
満州事変
太平洋戦争
象徴天皇制の始まりについて。
北条泰時
徳川家康
山縣有朋
敗戦
以上
玄米菜食。
ブログを書く。
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太極拳。
鬆身の方法を探る
鬆脳の方法も探す
韓氏意拳の研究
参禅(曹洞宗)
易経研究。
テーマは変化の様相
そのための数学と物理の再学習
スタディサプリを使う
易経の64爻を微分方程式で記述してみる
求心力と拡散力の学習
新陰陽論。
唯脳論批判
身体性の欠落
日本の近現代史。
満州事変
太平洋戦争
象徴天皇制の始まりについて。
北条泰時
徳川家康
山縣有朋
敗戦
以上
脳と身体を緩める ― 2017年02月12日
脳を緩めるとは?
脳機能を低下させることではない。いつでも活動できる状態を保持すること。太極拳の稽古でも、身体は常に緩める。
刺激を感覚受容器から脳へ伝達する過程は、身体の担当とする。
さて、太極拳では、終始、身体を緩めることを求められる。
首、肩、肘、手首、胸、背中、腰、股関節、膝、足首の各部の緩め方を習う。
緩んだ状態は、言わば、赤児のときと同じ。
刺激ー身体ー脳ー身体が一連の繋がりを持っている。四肢がまだ未熟な赤児でも、楽に動ける。だから、全身で動く。
加齢と共に、脳の中に情報が溜まり、「力がすべて」の意識が定着する。
中枢としての脳が全て良しとする唯脳論者になってしまう。
太極拳の稽古で、緩んでいるかどうかチェックは静止時、動作時のそれぞれで行う。タントウや形体訓練と呼ばれる動きで確かめる。
中国語では緩めることを鬆(ソン)という。例えば、ソンヤオとは腰を緩めること。太極拳の太極拳の要諦のひとつ。
昨年のある時、気がついた。
脳の緩め方はどうやるのだろうと。稽古で習ったことはない。
順序としては、各部の緩め方の次には、全身とか、各部の連携弛緩とか、いろいろあると思うが、脳の緩め方に稽古が向かうとは考えられなかった。自分でやるしかない、と決めた。
とりあえず、方法は頭部を緩めることと理解した。
すなわち、頭部を緩めるのは、第二頸椎の軸部分が第一頸椎の環部分に触れないように、頭部を保持することにした。
触れないようにするには、頭部のツボ百会で、上から吊られるような感覚を持つことがわかりやすい。上に引き上げる感覚は力を使うことになる。それでは緩まない。同時に、足裏の3点で重力を感じることが重要。
瞑想か座禅の姿勢がその感覚を教えてくれる。
脳機能を低下させることではない。いつでも活動できる状態を保持すること。太極拳の稽古でも、身体は常に緩める。
刺激を感覚受容器から脳へ伝達する過程は、身体の担当とする。
さて、太極拳では、終始、身体を緩めることを求められる。
首、肩、肘、手首、胸、背中、腰、股関節、膝、足首の各部の緩め方を習う。
緩んだ状態は、言わば、赤児のときと同じ。
刺激ー身体ー脳ー身体が一連の繋がりを持っている。四肢がまだ未熟な赤児でも、楽に動ける。だから、全身で動く。
加齢と共に、脳の中に情報が溜まり、「力がすべて」の意識が定着する。
中枢としての脳が全て良しとする唯脳論者になってしまう。
太極拳の稽古で、緩んでいるかどうかチェックは静止時、動作時のそれぞれで行う。タントウや形体訓練と呼ばれる動きで確かめる。
中国語では緩めることを鬆(ソン)という。例えば、ソンヤオとは腰を緩めること。太極拳の太極拳の要諦のひとつ。
昨年のある時、気がついた。
脳の緩め方はどうやるのだろうと。稽古で習ったことはない。
順序としては、各部の緩め方の次には、全身とか、各部の連携弛緩とか、いろいろあると思うが、脳の緩め方に稽古が向かうとは考えられなかった。自分でやるしかない、と決めた。
とりあえず、方法は頭部を緩めることと理解した。
すなわち、頭部を緩めるのは、第二頸椎の軸部分が第一頸椎の環部分に触れないように、頭部を保持することにした。
触れないようにするには、頭部のツボ百会で、上から吊られるような感覚を持つことがわかりやすい。上に引き上げる感覚は力を使うことになる。それでは緩まない。同時に、足裏の3点で重力を感じることが重要。
瞑想か座禅の姿勢がその感覚を教えてくれる。
「法」から「道」へ ― 2010年09月22日
長らく「陰陽法」と呼んできたが、「陰陽道」と言い換える時期が来たようだ。
西洋近代文明的表現なら、「陰陽法」となる。「方法」である。デカルトに『方法序説』がある。その「方法」である。
「方法」という概念は西欧近代文明が発明したもの。日本では「道」と呼んだ。
「方法」と「道」とは異なる。
「方法」は普遍的であり、他者が理解できることが前提である。だが、日本伝統の「道」は身体感覚であり、身体操作であり、身につけるものである。概念とは無縁のものだ。
大学に入った時、方法論が盛んだった。今思えば、西洋近代の手法を身につけるために大学へ行ったのだ。
それが今、「ピーク・オイル」ということを知ってから、西洋近代文明への批判がはっきりしてきた。
一時期、老子と易経にのめり込んだ時期があった。「陰陽師になる」ことを勧め回っていた。
その説得のなかで、世間の大多数は西洋近代を肯定していることが解った。それで、わかり易いと思い、「道」を止めて、「法」に切り替えた。
だが、ふたたび、西洋近代、とくに、明治期の文明開化を再検証しているうちに、問題の核心に触れた気がした。
すなわち、現在の文明は石油に依存した西洋近代文明であるという認識。そして、その石油の生産量が需要を賄いきれなくなりつつあるという認識。さらに、その石油のおかげで、都市化が進捗し、世界人口の爆発がからんで、ますます、石油エネルギーの減耗が加速するだろうという予測。これらの状況を許している西洋近代文明を変革しようという批判と問題提起に至った。
これらの課題を解決する道を見極めないと地球にとっても、日本にとっても、明日はないと思うようになった。
とにかく、西洋近代文明に追従した日本と日本人の課題は明らかになった。
すなわち、「自分のライフスタイルを石油依存から脱却すること」である。
今でも、認識とか、予測とか、課題とか、問題解決とか、と言っているが、実のところ、他者への説得には、西洋近代文明の成果を使わざるを得ない。
だが、「自分の問題」としての解決となると話は別だ。
そこで、「陰陽道」の登場となる。
それにより、「概念」を捨てることができ、「脳からの離脱」ができる。
そうすれば、「ライフスタイルを変える」ことができる。
それは、脳の働きである意識とその操作である論理からの脱却を意味する。
「陰陽道」については、下記を参照してほしい。
「陰陽師になる」:http://bit.ly/9hbEGo
西洋近代文明的表現なら、「陰陽法」となる。「方法」である。デカルトに『方法序説』がある。その「方法」である。
「方法」という概念は西欧近代文明が発明したもの。日本では「道」と呼んだ。
「方法」と「道」とは異なる。
「方法」は普遍的であり、他者が理解できることが前提である。だが、日本伝統の「道」は身体感覚であり、身体操作であり、身につけるものである。概念とは無縁のものだ。
大学に入った時、方法論が盛んだった。今思えば、西洋近代の手法を身につけるために大学へ行ったのだ。
それが今、「ピーク・オイル」ということを知ってから、西洋近代文明への批判がはっきりしてきた。
一時期、老子と易経にのめり込んだ時期があった。「陰陽師になる」ことを勧め回っていた。
その説得のなかで、世間の大多数は西洋近代を肯定していることが解った。それで、わかり易いと思い、「道」を止めて、「法」に切り替えた。
だが、ふたたび、西洋近代、とくに、明治期の文明開化を再検証しているうちに、問題の核心に触れた気がした。
すなわち、現在の文明は石油に依存した西洋近代文明であるという認識。そして、その石油の生産量が需要を賄いきれなくなりつつあるという認識。さらに、その石油のおかげで、都市化が進捗し、世界人口の爆発がからんで、ますます、石油エネルギーの減耗が加速するだろうという予測。これらの状況を許している西洋近代文明を変革しようという批判と問題提起に至った。
これらの課題を解決する道を見極めないと地球にとっても、日本にとっても、明日はないと思うようになった。
とにかく、西洋近代文明に追従した日本と日本人の課題は明らかになった。
すなわち、「自分のライフスタイルを石油依存から脱却すること」である。
今でも、認識とか、予測とか、課題とか、問題解決とか、と言っているが、実のところ、他者への説得には、西洋近代文明の成果を使わざるを得ない。
だが、「自分の問題」としての解決となると話は別だ。
そこで、「陰陽道」の登場となる。
それにより、「概念」を捨てることができ、「脳からの離脱」ができる。
そうすれば、「ライフスタイルを変える」ことができる。
それは、脳の働きである意識とその操作である論理からの脱却を意味する。
「陰陽道」については、下記を参照してほしい。
「陰陽師になる」:http://bit.ly/9hbEGo