「がん」を告知されたら2010年05月20日

わたしが「がん」を告知されたら、直ちにライフスタイルを変える。

生活の「何」を変えるのか?

先ず、食生活。次いで、身体操作。この二つを変えると、自動的に「思考法」が変わる。

この順番が重要。

「思考法」を変えるのが先決と思いがちだが、それがいけない。旧い「思考法」は、何事も先ず「思考」からという「脳優先」のやり方。

これを新しくするのがライフスタイルを変えることだから、旧いやり方を採れば、変革は出来なくなる。

食生活では、簡易食、すなわち、「一汁一菜」である。自分で作る。人に作ってもらわない。米を摂る和食にする。

一日二食にする。

食べ方は正座かあぐら座して、時間を掛ける。よく噛めば、時間は掛かる。

身体操作については、過去の身体の動きの癖を探る。癖を直すためではない。身体操作の対象を筋肉(部分)から骨(全体)に変えるために調べる。

身体の部分を使うのではなく、つねに身体全体を使うことに切り替える。身体の動きはネットワーク型である。

例えば、手を伸ばす時、足裏の感覚から身体全体を使って、伸ばしてゆくと、よく伸びる。気持ちよく伸びる。

身体のネットワークの練習として、立禅とか、站椿を行う。各部位が連携して動くことを感じる修練である。

以上が、わたしの「ライフスタイル変革」である。

部分と全体2010年03月09日

脳は、勿論、身体の部分である。

唯脳論は全体(身体)と部分(脳)の関係を部分からの視点で捉えている。

近代医学や科学の方法は、この全体を要素という部分に切り分けて、その部分を視る要素還元論を採用している。

だが、問題がある。部分ばかり視て、全体を視ることができないことである。

なぜできないのか?

部分の総和が全体にならないことがわかったからだ。

福岡伸一氏の『世界は分けてもわからない』(2009) 講談社現代新書 である。

一方、漢方医療では全体からの視点を使う。先ず身体全体の証を診断して、治療に入る。

だが、世間では唯脳論が盛んで、身体に関する話も、脳が身体をコントロールしているということで、すぐに脳の話になる。

世間では、部分と全体の関係を、部分の方から視ることが常識となっている。

要素還元論は、科学の世界以外にも、ビジネスや政治、さらには世間でも、当然のこととされている。

例えば、医療の世界。専門医が大流行りで、家庭医は疎まれている。

専門医のところへゆけば、対象の器官の話は聞けるが、身体全体の話は全く聞けない。

昨年11月に、自転車の乗り過ぎで、左肩の筋肉を傷めた。

近所の整形外科医へ行くと、レントゲン検査と数種の機械で患部へリハビリ処置をして、はい終わり。

身体全体で患部を癒そうとする自然治癒力のことなど、聞きたいのだが、尋ねられる雰囲気ではない。

今時の医者は自然治癒力など信じていないのだろう。

場合によっては、医者は器官を切除することもある。悪いところをとってしまえばよい、という排除の法である。ガンの場合もそれに当てはまる。

患者のことより患部優先で病気を診ている。

だが、生きていることは、身体全体がネットワークを組んで、部分で問題が発生すれば、一気に、身体全体が治癒に向かうのではないか。

脳も、もちろん参加する。

でも、そんな自然治癒力を期待する考えは医療の常識ではない。

私には困った問題だ。医者嫌いになる。

唯脳論では、脳という部分が身体全体を支配しているのだから、脳のことが判らなければ、部分の問題は解決しないと言う。

部分と全体との関係は、絶え間なく変化している。その変化を止めて視ることはできない。推測か、予測か、統計的観察かない。いずれにしろ、変化を認めれば、部分と全体の関係性についての記述はおかしなものになる。

加えて、どのように変化するのか?

陰陽法では、陰陽の消長で変化の結果を知ることができると考える。陰と陽が変化の原因となるのではない。

変化の原因と過程は誰も知らない。複雑系と言われるゆえんである。学者の研究対象でしかない。

一般人は変化の結果を知ること、それで良しとする。病因より病症が大事と考える。伝統医療の法である。

生きてゆくためには、変化を知り、それに対応しなくてはならない。鳥たちを見よ。

彼らは陰陽法を使っている。

それを見て、私も使うようになった。

「道法自然」の実践である。

ライフスタイルの変革を願うなら、先ず、唯脳論を脇において、陰陽法を学んでほしい。

次回は「陰陽法による変革」ついて述べる。
カウンター