安倍政権の危うさ2007年06月09日

わたしは、この社会の不条理は西洋合理主義の広がりに問題ありとして、東洋の陰陽思想の普及を目指してきたが、それだけではすまない状況が出てきている。

すなわち、安倍内閣による憲法改正問題である。

彼は、合理主義について、資本主義社会の普遍的価値観ということで、西洋合理主義を無条件で容認している。

教育問題では、彼が倫理感を養成することを根本理念とすることは良いが、そのために、国家の役割(国家による目標設定)を強調するという方向に走って、本来、内面的動機である宗教的動機(信仰)の重要性については、全く議論をしていない。

加えて、宗教教育の点では、憲法による政教分離の枠と靖国参拝問題に囚われて、話題にすら出来ないという状況が続いている。

モラル低下を家庭の崩壊と捉えて、家族のモデルを国家が提示するという彼の問題提起は、国家主義者としては当たり前の理屈だろう。

安倍氏の国家観では、国民と国家は一体であるとしているようだ。国家とは国民の集合というレベルの定義だろう。国家の暴力については、全く楽観している。国家の暴力などは、彼の夢にも出てこないだろう。国民と国家との関係が明確でないことが致命的である。

そういう国家観を持った人が、国民でなく国家を抑制する機能を持つ憲法を改正しようというのだから、始末が悪い。
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