読書メモ ― 2008年03月30日
[日本人について]
・養老孟司『無思想の発見』
「日本には無思想という思想がある」p91
「五感のすべてで捉えられるもの」を、
世間では物体というp117
司馬遼太郎『異常な三島事件に接して』
(思想は大虚構...)についての記述ありp110
思想は現実(モノの集まり)とはなんのかかわりもない
と司馬氏は言う。
本当だろうか?
現実とは世間ということ。となると日本の世間には
思想が無いということになる。
やはり、思想と対立するモノの定義をあらためて
考えてみたい。
モノとは人間の五感で認識できるもの。
(脳への1次入力は受動的。
1次入力を脳が処理した後の2次入力は能動的。)
だから、モノとは脳の外に在るものと言える。
脳の働きである意識によって記憶が集まり、思想となる。
この辺まで来ると、脳というモノと意識との2元論へ
陥りやすくなる。
司馬氏は完全にその世界に入っている。
養老氏はどうだろう?原理主義を嫌う彼は
入っていないと思う。つづく・・・
養老氏への問い:宗教は思想ですから、
日本には宗教がないといえますか?
勿論、個別の人間には信仰という意識活動が
あるわけですから、日本人は無宗教とは言えませんよね。
・山本七平『日本的革命の哲学』
貞永式目の制定から象徴天皇制は始まったp182
象徴天皇制は日本人を無宗教の状態に置いた。
だが、象徴天皇制とは日本教とも言える。
・山本七平・小室直樹著『日本教の社会学』
・村上重良『国家神道』
国家神道は宗教でないとの政策
神仏基の三教を直接の統制下に置く、宗教公認制度p130
国家神道の創出において、
象徴天皇制が基盤になったことは論理的帰結。
・イザヤ・ベンダサン著、山本七平訳『日本教について』
司馬遼太郎『異常な三島事件に接して』
(思想は大虚構...)についての記述ありp45
ソクラテスはロゴス(言葉=論理=思想)は
現実と結合しなければ無意味だと断言する。p46
・茂木健一郎『思考の補助線』
物質である脳からいかにして意識が生まれるのかp017
・養老孟司/茂木健一郎
『スルメを見てイカがわかるか!』
意識ですべてはコントロールできない、
できるのは手入れすることだけである。p185
茂木氏への問い:「蝶の世界観」から始まった
宇宙秩序(原理)の解釈が、
「物理学の世界観」へと拡がり(p137)、
今では原理から離れて、
「クオリア」による個別の解釈へとなっているようです。
ならば、その「クオリア」による方法は?
養老氏への問い:「手入れ」の方法は?
[人間について]
・福岡伸一『生物と無生物のあいだ』
生命とは動的平衡にある流れである p167
「進化論的原理、つまり自然淘汰の結果、
ランダムな変異が選抜されたと考えることは、
生命の多様性をあまりに単純化する思考であり、
大いなる危惧を感じる」p144
「生物が示す形態形成の根拠には、
分子の拡散がもたらす濃度勾配やその空間的な広がり
など、ある一定の物理学的な枠組みが
あることが見て取れる」p146
・桜沢如一『カレル「人間」解説』
「平和とは、法に基づく秩序である。
あらゆる法はつづまるところ『宇宙の秩序』に
帰するものである。
社会秩序とは宇宙の秩序の模写であり、
写実であり、実生活への翻訳であり、
人間化であり、生きることである。
そして理想的な『人間』、
つまり平和に秩序のある生活をする『人間』とは
宇宙の秩序(自然)に法った、
材料-自然的な食物をもって作り上げた
健康な(自然な)人間なのである。」p324
以下の本能主義についての記述は示唆に富む。
わたしはこの本能主義を磨くのに
陰陽法を使えば良いと思っている。
ただし、2元論としての陰陽法ではない。ここがポイント。
これは空前の主張で、私(桜沢)独自のものである。
これは、人間とは何かを究明する一切の科学と、
幸福とは何かを決める一切の哲学と、
正義とは何かを示す一切の道徳、宗教を、
『実生活』にまとめて一つにするのに
本能を用いるという主義である。
本能というのは万人に生まれながら
そなわっている明智を本体とした命令行動本部、
分かりやすく言えば、
学校で教えられないで万物を判断し、
処理する本源的な能知である。
生命の本体であり、
宇宙全体の秩序に人間を適合させるモノである。p323
・桜沢如一『東洋医学の哲学』
宇宙の秩序:七つの法則p200
①始めあるものにオワリあり
(同一律を完全に分解する)
②オモテあればウラあり
③この世に一物として同一なるものなし
④オモテ大なればウラも大なり
⑤変化(運動、調和、均衡、崩壊、死生)は
スベテ宇宙の二大対立エネルギーの結び、
またはその分化である
⑥絶対、無限、永遠、唯一なるモノは
二つの相反する陰陽を生む
⑦スベテの変化するモノは
絶対、変化しないモノの産物である
この宇宙論理学は形式論理学を解消して発展させ、
帰納法の基礎を明らかにして演繹法に合流せしめ、
人間に無限の自由と永遠の幸せと
絶対の正義の三つの大道を示すモノ、
新しい全人類の道案内となるでしょう。p207
・桜沢如一『無双原理・易』
無双原理:宇宙万物は陰陽より成る p59
12定理:p60
①陰陽を生ずるものは実有である。
②陰陽は実有より不断に派生し、
分極し相関往来し栄盛し、不断に実有に
帰入消滅する
③陽は求心、圧縮の性を有し、陰は遠心、
拡散の性を有し各々その性反対なり
④陽は陰を、陰は陽を互に牽引す
⑤森羅万象はあらゆる比例に於いて
陰陽を荷帯せる実有大極の複雑にして
無数なる微分子の集合体なり
⑥森羅万象は単に種々なる程度の
動的均衡を示す陰陽の集合体なり
⑦絶対的陰、若しくは絶対的陽なる事物は
存在せず
⑧一物も中性なるものなし
(必ず陰又は陽に多寡あり)
⑨森羅万象相互間の引力は各対者間の
異性(陰陽)量の差に比例す
⑩同名の性は相排斥す:同性の二物の排斥力は
その差に逆比例す
⑪陰極まりて陽生じ、陽極まりて陰生ず
⑫万物その内奥に陽を荷帯し、
外側に陰を荷帯す
・養老孟司『無思想の発見』
「日本には無思想という思想がある」p91
「五感のすべてで捉えられるもの」を、
世間では物体というp117
司馬遼太郎『異常な三島事件に接して』
(思想は大虚構...)についての記述ありp110
思想は現実(モノの集まり)とはなんのかかわりもない
と司馬氏は言う。
本当だろうか?
現実とは世間ということ。となると日本の世間には
思想が無いということになる。
やはり、思想と対立するモノの定義をあらためて
考えてみたい。
モノとは人間の五感で認識できるもの。
(脳への1次入力は受動的。
1次入力を脳が処理した後の2次入力は能動的。)
だから、モノとは脳の外に在るものと言える。
脳の働きである意識によって記憶が集まり、思想となる。
この辺まで来ると、脳というモノと意識との2元論へ
陥りやすくなる。
司馬氏は完全にその世界に入っている。
養老氏はどうだろう?原理主義を嫌う彼は
入っていないと思う。つづく・・・
養老氏への問い:宗教は思想ですから、
日本には宗教がないといえますか?
勿論、個別の人間には信仰という意識活動が
あるわけですから、日本人は無宗教とは言えませんよね。
・山本七平『日本的革命の哲学』
貞永式目の制定から象徴天皇制は始まったp182
象徴天皇制は日本人を無宗教の状態に置いた。
だが、象徴天皇制とは日本教とも言える。
・山本七平・小室直樹著『日本教の社会学』
・村上重良『国家神道』
国家神道は宗教でないとの政策
神仏基の三教を直接の統制下に置く、宗教公認制度p130
国家神道の創出において、
象徴天皇制が基盤になったことは論理的帰結。
・イザヤ・ベンダサン著、山本七平訳『日本教について』
司馬遼太郎『異常な三島事件に接して』
(思想は大虚構...)についての記述ありp45
ソクラテスはロゴス(言葉=論理=思想)は
現実と結合しなければ無意味だと断言する。p46
・茂木健一郎『思考の補助線』
物質である脳からいかにして意識が生まれるのかp017
・養老孟司/茂木健一郎
『スルメを見てイカがわかるか!』
意識ですべてはコントロールできない、
できるのは手入れすることだけである。p185
茂木氏への問い:「蝶の世界観」から始まった
宇宙秩序(原理)の解釈が、
「物理学の世界観」へと拡がり(p137)、
今では原理から離れて、
「クオリア」による個別の解釈へとなっているようです。
ならば、その「クオリア」による方法は?
養老氏への問い:「手入れ」の方法は?
[人間について]
・福岡伸一『生物と無生物のあいだ』
生命とは動的平衡にある流れである p167
「進化論的原理、つまり自然淘汰の結果、
ランダムな変異が選抜されたと考えることは、
生命の多様性をあまりに単純化する思考であり、
大いなる危惧を感じる」p144
「生物が示す形態形成の根拠には、
分子の拡散がもたらす濃度勾配やその空間的な広がり
など、ある一定の物理学的な枠組みが
あることが見て取れる」p146
・桜沢如一『カレル「人間」解説』
「平和とは、法に基づく秩序である。
あらゆる法はつづまるところ『宇宙の秩序』に
帰するものである。
社会秩序とは宇宙の秩序の模写であり、
写実であり、実生活への翻訳であり、
人間化であり、生きることである。
そして理想的な『人間』、
つまり平和に秩序のある生活をする『人間』とは
宇宙の秩序(自然)に法った、
材料-自然的な食物をもって作り上げた
健康な(自然な)人間なのである。」p324
以下の本能主義についての記述は示唆に富む。
わたしはこの本能主義を磨くのに
陰陽法を使えば良いと思っている。
ただし、2元論としての陰陽法ではない。ここがポイント。
これは空前の主張で、私(桜沢)独自のものである。
これは、人間とは何かを究明する一切の科学と、
幸福とは何かを決める一切の哲学と、
正義とは何かを示す一切の道徳、宗教を、
『実生活』にまとめて一つにするのに
本能を用いるという主義である。
本能というのは万人に生まれながら
そなわっている明智を本体とした命令行動本部、
分かりやすく言えば、
学校で教えられないで万物を判断し、
処理する本源的な能知である。
生命の本体であり、
宇宙全体の秩序に人間を適合させるモノである。p323
・桜沢如一『東洋医学の哲学』
宇宙の秩序:七つの法則p200
①始めあるものにオワリあり
(同一律を完全に分解する)
②オモテあればウラあり
③この世に一物として同一なるものなし
④オモテ大なればウラも大なり
⑤変化(運動、調和、均衡、崩壊、死生)は
スベテ宇宙の二大対立エネルギーの結び、
またはその分化である
⑥絶対、無限、永遠、唯一なるモノは
二つの相反する陰陽を生む
⑦スベテの変化するモノは
絶対、変化しないモノの産物である
この宇宙論理学は形式論理学を解消して発展させ、
帰納法の基礎を明らかにして演繹法に合流せしめ、
人間に無限の自由と永遠の幸せと
絶対の正義の三つの大道を示すモノ、
新しい全人類の道案内となるでしょう。p207
・桜沢如一『無双原理・易』
無双原理:宇宙万物は陰陽より成る p59
12定理:p60
①陰陽を生ずるものは実有である。
②陰陽は実有より不断に派生し、
分極し相関往来し栄盛し、不断に実有に
帰入消滅する
③陽は求心、圧縮の性を有し、陰は遠心、
拡散の性を有し各々その性反対なり
④陽は陰を、陰は陽を互に牽引す
⑤森羅万象はあらゆる比例に於いて
陰陽を荷帯せる実有大極の複雑にして
無数なる微分子の集合体なり
⑥森羅万象は単に種々なる程度の
動的均衡を示す陰陽の集合体なり
⑦絶対的陰、若しくは絶対的陽なる事物は
存在せず
⑧一物も中性なるものなし
(必ず陰又は陽に多寡あり)
⑨森羅万象相互間の引力は各対者間の
異性(陰陽)量の差に比例す
⑩同名の性は相排斥す:同性の二物の排斥力は
その差に逆比例す
⑪陰極まりて陽生じ、陽極まりて陰生ず
⑫万物その内奥に陽を荷帯し、
外側に陰を荷帯す