変化の読み方-22004年09月15日

大局観をもつことが不安、恐れからの解放につながることを語った。 そして、そのために「陰陽法」を身に付けることを薦めた。

さて、もういちど、どうして「陰陽法」なのか?

変化を予測する方法は、この世に沢山あるが、日常生活で手軽に使えるものはほとんどない。信仰という宗教をベースにした方法も、古来、人々の生活の中に染込んでいることは確かである。それはそれでよい。

だが、宗教に頼るのではなく、自己責任で生きたい人も大勢いる。

その人たちは、読書をしたり、新聞を読んだり、TVを見たりして、なんとか専門家の変化予測をいちはやく知ろうとしている。

専門家は、確かに勉強している。一般の人には、持つことも出来ない情報網もある。データも持っている。コンピュータを使った分析が可能である。

気象庁の天気予報が良い例である。

だが、観天望気という日常生活の中で、一般の人たちが簡単に使える方法もある。といっても観天望気の方法を誰も教えてくれないだろう。漁師とて、専門家の天気予報に頼りきっている。

健康についても同じこと。病気になれば、すぐに医者。病気になる前も、専門家による基本検査。

くどいほどいうが、専門家なしで生きてゆくには、自分なりの方法を考案しなくてはならない。

一般の人は、専門家がやっているような複雑な要因を分析する方法は使えない。

簡単に、対象を「陰」と「陽」の2つの要素に分けて考える「陰陽法」がコスト安だし、誰にでも出来る方法として、古来、日本の社会では使われてきた。

日本文化の底辺に流れる「陰陽法」。 日の丸に象徴される「陰陽法」。

韓国の国旗を見てほしい。易の影響をうけた太極旗である。日の丸は、同じ考えだが、直截な表現を避けて、シンボリックな旗となっている。

中国や朝鮮半島で使われる「陰陽法」を日本独自のものに作り上げた先人たちの研鑽をつくづく感謝したい。

重要ポイント: ①日常生活では「陰陽法」のほうが有利である。 ②専門家頼みの生活から脱皮しよう。

また明日。

変化の読み方-32004年09月17日

変化の読み方には、「陰陽五行法」というやり方もある。

配当表を使って、「陰陽法」をマニュアル化したものだ。 「陰陽法」を使いやすくしたが、個別性への対応を少々眼をつぶったものでもある。

私のお薦めはあくまで個別対応しかない「陰陽法」である。

とはいえ、「陰陽法」を使うにあたって、重要なポイントがある。 この二元論をどうやって乗り越えるか?

この世を陰陽で見れば、どうしても二元論になり、対立、相克で出口なしとなってしまう。 ここをどう説明するか?

それが問題である。 皆さんも考えてほしい。

昨日は忙しく、今日も、明日も、出掛ける。 というわけで、続きはお待ちください。

宿題の答え2004年09月24日

宿題:この世を陰陽で見れば、どうしても二元論になり、対立、相克で出口なしとなってしまう。 ここをどう乗越えるか?

この世には対立するものが、見る気ならいくらでも見える。

男女、生死、上下、明暗、大小、貧富、善悪、正邪、終始、表裏、動物植物、美醜、陰陽、ときりがない。

その対立が永遠に続くと見る人がいる。解消できると見る人もいる。

西洋人は永遠に続くと見ている。 東洋人は解消できると見ている。

東洋の哲学者たちは有限の世界の二元論を乗越える方法を見出してきた。 「空」の考えが良い例である。

残念ながら、西洋の哲学者たちは、特に、近代の哲学者たちはこの二元論にどっぷり嵌ってしまった。デカルトが良い例である。

確かに、有限の世界は二元論で説明できる。 同時に、有限の世界しかないと考えれば、対立は解消できない。

無限においては、二元論は論理的に成り立たない。当然、そこには対立などない。

従って、東洋の哲人たちはこの無限を有限の世界に取り込むことを試みた。

例えば、「道」をこの有限の世界に生きる人間が意識することである。 あるいは、「神道」における、有限の世界の裏側に無限の世界があると信ずることである。

対立はどこからうまれたのか?

東洋では、無限(宇宙、太極、道、真気、元気、絶対)から、陰陽(有限、相対、この世、対立)が生まれたと考える。

だから、この世の人は、有限の中で、無限を意識すれば対立はなくなるということになる。 その方法には、座禅、瞑想、気功、宗教信仰、三昧などと、いろいろある。

陰陽法もそのひとつである。

陰陽観で、その対立をコントロールすれば良い。 相対観をを生活の中で、意識し、物事を絶対視できないことを知れば、楽になる。

結論:物事の陰陽を判断して、その陰陽を増減すれば良い。

難しく考えるな。

有限の世界には、客観的真実などない。 自分の直感による陰陽判断で十分である。

死生観2004年09月28日

宇宙(宇とは空間、宙とは時間)の或る場所で私は生まれた。

それから、生きれるだけ生きて、死ぬ。

「陰」と「陽」で構成される私という存在は、一定期間、この世で生きて、再び、宇宙に戻る。

生きれるだけ生きるためには、人任せには出来ない。 陰陽判断で、変化を予測して、その変化に対応する。

目標は、自然死である。身体機能が静かに終焉を迎えるようにしたい。 往生死と呼んでもよい。

私は、なぜ生きるのか?

やっと掴んだ楽な生き方、平和な生き方をみんなに知ってもらいたい。 そのために、生きる。

なぜ、生きるのかについての一般的な回答はない。 人さまざまである。

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