いよいよ試練がやってきた ― 2004年09月10日
昨日はCT検査日。造影剤はやらずに、単純CT検査である。
7月末に行った県の基本検診で、潜血反応が出て、8月初に尿の細胞検査で、異型細胞があるとの結果。
泌尿器科の専門医に診てもらうことを薦められ、鎌倉駅そばの広川医院へ。
尿の再検査、膀胱、前立腺、腎臓のエコー、肛門からの前立腺の触診を実施。
腎臓に影があることが判明。
ということで、今日のCT検査ということになった。
来週9月13日に、広川医院で、尿の再細胞検査およびCT検査の結果を聞くことにしている。
がんを持っていることが判明すれば、その時点で、西洋医学の治療は、おさらばすると決めている。
持っていないことになっても、食事療法を中心に、自前の養生法をもっと厳しく試みることに決めている。
いよいよ試練のときである。陰陽法を使って生きてきた身として、ここは正念場である。 すなわち、これまで生きてきた陰陽法で対処しようというわけである。
西洋医学を極力回避してきた身として、従来からの主張を継続してゆきたい。 医者が病気を治すのではない。病者自身が治すのだという主張である。
病院から帰って、考えたこと ― 2004年09月10日
ガンを持つことになろうと、持たないことになろうと、陰陽法をより極めてゆきたい。
先ず、食事である。 基本的に、玄米菜食の2食とする。 禅寺の食事を模範とすること。
体調を計りながら、陰陽さまざまな素材を、陰陽原理を使いながら調理する。
次に、呼吸である。 基本的に、朝と夕べに瞑想の時間を持つこと。 発声、歌唱などにトライしたい。
次は、運動である。毎日、約k1時間の散歩をすること。
次に、生きがいである。 陰陽法の普及。 ミニマリズムの普及。 中国医学の学習。
次に、仕事である。 ミニマムな量の仕事は続けてゆく。
他に、養生法について 陰陽法は養生法でもあるので特に意識しない。
大局観をもつ-陰陽法による健康診断 ― 2004年09月12日
陰陽法は誰にでも薦めたい。
だが、大きなバリアがある。 陰陽法は、現在、日本の社会では通用しない考え方である。過去の遺物と思われている。
今、この日本で、陰陽法はすっかり姿を消している。 明治期に、日本医方が排斥され、その典型的な陰陽判断が社会から抹殺されてしまった。
かって、日本では、この陰陽法によって、政治が行われ、文化が培われてきた。 「陰陽」という物差しで大局判断をすることがさまざまなジャンルで行われてきた。 職人たちの物差しでもあり、為政者の判断の道具でもあった。
例えば、政治。 政治家には大局観が必要である。 大局観を持つことためには、物差しが必要になる。 大局観とは、変化を予測することである。 その方法が「陰陽法」である。 事象がどう変化してゆくかの見通しがなければ、政治もあらぬ方向へと歪んでゆく。
例えば、教育。 教育者にも、大局観が大切である。 その教育者に大局を観る眼がない。明治期の教育にはそれがまだ残っていた。
今、ほとんどの人が大局を観る事をあきらめている。 現状を肯定し、先を見ることを怖れる若者が増えている。
なぜか? 教育の問題にもなっているが、大局を観る方法、変化を読む方法を学校では教えてくれないし、大人たち自身が、その方法を知らない。そのためだ。
日本と反対に、中国では、いまだにこの「陰陽法」が残っている。 中国における近代医学では、この陰陽法をいまだに使っている。 陰陽法が社会に生きている。
中国の為政者たちは、この陰陽の使い方を知っているにちがいない。長期ビジョン政策や国家戦略にあらわれている。
一方、日本の官僚で陰陽法を知る人はいないだろう。陰陽を知っているような人は官僚になれなかったし、今もなれない。 医学の場合と同じである。
日本の国旗はこの「陰陽」の印である。 日の丸の歴史を語る人がいても、この国旗が陰陽を表していることについて気付いている人は少ない。
というわけで、私の健康診断は、陰陽法を基にしている。 覚えやすいが、使うにあたっては、ある種の決断が要る。社会の常識に逆らうという決断である。
CTおよび細胞検査の結果 ― 2004年09月13日
肝臓・腎臓にのう胞が多発しているが、問題ないとのこと。 だが、今後、経過観察のため2ヶ月毎の検査をすることになった。
先ずは、ホッとしている。 特攻隊隊員に、突然、中止命令が出たようなものだろう。
8月16日に細胞検診の結果を聞きに行ってから、約1ヶ月間、折に触れて、がんへの怖れが頭をもたげてくる日々を送った。
いろいろと考えることがこんなに多いのかと思う生活だった。
よい機会だ。 この際、身辺整理に努めてみよう。
同時に、 陰陽法を極めることや、中国医学を学ぶことも、もっと積極的にやろう。 気功、瞑想、運動、養生と、いろいろやることが見えている。
友人、知人、親戚からの電話。 皆さんに心配を掛けていたことを改めて実感する。
久々に晩酌。
今夜はゆっくり眠れそう。
変化の読み方-1 ― 2004年09月14日
大局観をもつことの意義はすでに述べた。
だが、どうやってその方法を身に付ければよいか。今日はその話をしよう。
変化は動きである。この世の動きを測るには、さまざまな方法がある。
例えば、天気予報では、ある定まったデータを定まった方法で観測し、そのデータの変化をシミュレートする。コンピュータによるデータシミュレーションが威力を発揮する。
だが、日常生活では、この方法は使えない。結論から言えば、データの観測ができない。粗雑なデータを、厳密に言えば、その都度異なった方法で収集することしかできない。
そこで、昔からある方法を蘇らせたいというわけだ。
それが、陰陽法である。
動きをデータでなく、遠心と求心の2方向の力として直感的に捉えることである。
遠心とは、拡散するもの。求心とは、中に向かって、収縮するもの。
すべての事物、事象をこの2方向の力の大小を相対的に捉えた上で、その変化傾向を予測することを、その人なりの直感で行うことである。
客観的判断ではない。そんなものはあり得ない。判断とはすべて判断者の脳の機能である。
だから、直感による主観的判断で良い。
例えば、健康診断の場合、 大小便を診る、顔色を診る、舌を診る。臭いを嗅ぐ。息を測る。肌を診る。動いてみる。走ってみる。食事内容を振り返る。いろいろとやってみながら、拡散と収縮のどちらが多いかを判断する。
色の場合。 赤は収縮力が強い。紫は拡散力が強い。
いろいろなケースにおける収縮力と拡散力のパターンを予め研究しておく。 日々の生活の中の事物、事象、行為をチェックするとよい。
この拡散力を簡単に「陰」と呼び、この収縮力を「陽」と呼ぶ。
陰陽の性質については、下記の如し。 「陽」は中心に位置し、「陰」は外側に存在しがちである。 「陰」は物理的には上昇し、「陽」は下降する。 その他は「陰陽師になる」(http://www.tecnet.or.jp/~furuno/YingYang1.htm)を見てほしい。
言い換えれば、日々の生活の中の事物、事象、行為の「陰陽」の度合いを測っているのが、「陰陽師」である。
「陰陽」の度合いがわかれば、あとは、その変化の傾向をつかむことである。
例えば、「陰」極まれば、「陽」となる。
などなど、自分なりの判断を積み重ねてゆく。
今日はここまで。
重要ポイント: ①主観的判断で良い。 ②すべての事物、事象は、陰が多ければ陰、陽が強ければ陽。陰だけのもの、陽だけのものはあり得ない。