「法」から「道」へ2010年09月22日

長らく「陰陽法」と呼んできたが、「陰陽道」と言い換える時期が来たようだ。

西洋近代文明的表現なら、「陰陽法」となる。「方法」である。デカルトに『方法序説』がある。その「方法」である。

「方法」という概念は西欧近代文明が発明したもの。日本では「道」と呼んだ。

「方法」と「道」とは異なる。

「方法」は普遍的であり、他者が理解できることが前提である。だが、日本伝統の「道」は身体感覚であり、身体操作であり、身につけるものである。概念とは無縁のものだ。

大学に入った時、方法論が盛んだった。今思えば、西洋近代の手法を身につけるために大学へ行ったのだ。

それが今、「ピーク・オイル」ということを知ってから、西洋近代文明への批判がはっきりしてきた。

一時期、老子と易経にのめり込んだ時期があった。「陰陽師になる」ことを勧め回っていた。

その説得のなかで、世間の大多数は西洋近代を肯定していることが解った。それで、わかり易いと思い、「道」を止めて、「法」に切り替えた。

だが、ふたたび、西洋近代、とくに、明治期の文明開化を再検証しているうちに、問題の核心に触れた気がした。

すなわち、現在の文明は石油に依存した西洋近代文明であるという認識。そして、その石油の生産量が需要を賄いきれなくなりつつあるという認識。さらに、その石油のおかげで、都市化が進捗し、世界人口の爆発がからんで、ますます、石油エネルギーの減耗が加速するだろうという予測。これらの状況を許している西洋近代文明を変革しようという批判と問題提起に至った。

これらの課題を解決する道を見極めないと地球にとっても、日本にとっても、明日はないと思うようになった。

とにかく、西洋近代文明に追従した日本と日本人の課題は明らかになった。

すなわち、「自分のライフスタイルを石油依存から脱却すること」である。

今でも、認識とか、予測とか、課題とか、問題解決とか、と言っているが、実のところ、他者への説得には、西洋近代文明の成果を使わざるを得ない。

だが、「自分の問題」としての解決となると話は別だ。

そこで、「陰陽道」の登場となる。

それにより、「概念」を捨てることができ、「脳からの離脱」ができる。

そうすれば、「ライフスタイルを変える」ことができる。

それは、脳の働きである意識とその操作である論理からの脱却を意味する。

「陰陽道」については、下記を参照してほしい。
「陰陽師になる」:http://bit.ly/9hbEGo
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