部分と全体 ― 2010年03月09日
脳は、勿論、身体の部分である。
唯脳論は全体(身体)と部分(脳)の関係を部分からの視点で捉えている。
近代医学や科学の方法は、この全体を要素という部分に切り分けて、その部分を視る要素還元論を採用している。
だが、問題がある。部分ばかり視て、全体を視ることができないことである。
なぜできないのか?
部分の総和が全体にならないことがわかったからだ。
福岡伸一氏の『世界は分けてもわからない』(2009) 講談社現代新書 である。
一方、漢方医療では全体からの視点を使う。先ず身体全体の証を診断して、治療に入る。
だが、世間では唯脳論が盛んで、身体に関する話も、脳が身体をコントロールしているということで、すぐに脳の話になる。
世間では、部分と全体の関係を、部分の方から視ることが常識となっている。
要素還元論は、科学の世界以外にも、ビジネスや政治、さらには世間でも、当然のこととされている。
例えば、医療の世界。専門医が大流行りで、家庭医は疎まれている。
専門医のところへゆけば、対象の器官の話は聞けるが、身体全体の話は全く聞けない。
昨年11月に、自転車の乗り過ぎで、左肩の筋肉を傷めた。
近所の整形外科医へ行くと、レントゲン検査と数種の機械で患部へリハビリ処置をして、はい終わり。
身体全体で患部を癒そうとする自然治癒力のことなど、聞きたいのだが、尋ねられる雰囲気ではない。
今時の医者は自然治癒力など信じていないのだろう。
場合によっては、医者は器官を切除することもある。悪いところをとってしまえばよい、という排除の法である。ガンの場合もそれに当てはまる。
患者のことより患部優先で病気を診ている。
だが、生きていることは、身体全体がネットワークを組んで、部分で問題が発生すれば、一気に、身体全体が治癒に向かうのではないか。
脳も、もちろん参加する。
でも、そんな自然治癒力を期待する考えは医療の常識ではない。
私には困った問題だ。医者嫌いになる。
唯脳論では、脳という部分が身体全体を支配しているのだから、脳のことが判らなければ、部分の問題は解決しないと言う。
部分と全体との関係は、絶え間なく変化している。その変化を止めて視ることはできない。推測か、予測か、統計的観察かない。いずれにしろ、変化を認めれば、部分と全体の関係性についての記述はおかしなものになる。
加えて、どのように変化するのか?
陰陽法では、陰陽の消長で変化の結果を知ることができると考える。陰と陽が変化の原因となるのではない。
変化の原因と過程は誰も知らない。複雑系と言われるゆえんである。学者の研究対象でしかない。
一般人は変化の結果を知ること、それで良しとする。病因より病症が大事と考える。伝統医療の法である。
生きてゆくためには、変化を知り、それに対応しなくてはならない。鳥たちを見よ。
彼らは陰陽法を使っている。
それを見て、私も使うようになった。
「道法自然」の実践である。
ライフスタイルの変革を願うなら、先ず、唯脳論を脇において、陰陽法を学んでほしい。
次回は「陰陽法による変革」ついて述べる。
唯脳論は全体(身体)と部分(脳)の関係を部分からの視点で捉えている。
近代医学や科学の方法は、この全体を要素という部分に切り分けて、その部分を視る要素還元論を採用している。
だが、問題がある。部分ばかり視て、全体を視ることができないことである。
なぜできないのか?
部分の総和が全体にならないことがわかったからだ。
福岡伸一氏の『世界は分けてもわからない』(2009) 講談社現代新書 である。
一方、漢方医療では全体からの視点を使う。先ず身体全体の証を診断して、治療に入る。
だが、世間では唯脳論が盛んで、身体に関する話も、脳が身体をコントロールしているということで、すぐに脳の話になる。
世間では、部分と全体の関係を、部分の方から視ることが常識となっている。
要素還元論は、科学の世界以外にも、ビジネスや政治、さらには世間でも、当然のこととされている。
例えば、医療の世界。専門医が大流行りで、家庭医は疎まれている。
専門医のところへゆけば、対象の器官の話は聞けるが、身体全体の話は全く聞けない。
昨年11月に、自転車の乗り過ぎで、左肩の筋肉を傷めた。
近所の整形外科医へ行くと、レントゲン検査と数種の機械で患部へリハビリ処置をして、はい終わり。
身体全体で患部を癒そうとする自然治癒力のことなど、聞きたいのだが、尋ねられる雰囲気ではない。
今時の医者は自然治癒力など信じていないのだろう。
場合によっては、医者は器官を切除することもある。悪いところをとってしまえばよい、という排除の法である。ガンの場合もそれに当てはまる。
患者のことより患部優先で病気を診ている。
だが、生きていることは、身体全体がネットワークを組んで、部分で問題が発生すれば、一気に、身体全体が治癒に向かうのではないか。
脳も、もちろん参加する。
でも、そんな自然治癒力を期待する考えは医療の常識ではない。
私には困った問題だ。医者嫌いになる。
唯脳論では、脳という部分が身体全体を支配しているのだから、脳のことが判らなければ、部分の問題は解決しないと言う。
部分と全体との関係は、絶え間なく変化している。その変化を止めて視ることはできない。推測か、予測か、統計的観察かない。いずれにしろ、変化を認めれば、部分と全体の関係性についての記述はおかしなものになる。
加えて、どのように変化するのか?
陰陽法では、陰陽の消長で変化の結果を知ることができると考える。陰と陽が変化の原因となるのではない。
変化の原因と過程は誰も知らない。複雑系と言われるゆえんである。学者の研究対象でしかない。
一般人は変化の結果を知ること、それで良しとする。病因より病症が大事と考える。伝統医療の法である。
生きてゆくためには、変化を知り、それに対応しなくてはならない。鳥たちを見よ。
彼らは陰陽法を使っている。
それを見て、私も使うようになった。
「道法自然」の実践である。
ライフスタイルの変革を願うなら、先ず、唯脳論を脇において、陰陽法を学んでほしい。
次回は「陰陽法による変革」ついて述べる。